伊勢谷友介の生い立ちと父親・家族構成は|異母兄弟にインスタで追悼

伊勢谷友介さんは、2020年7月21日に白血病で亡くなった、デザイナー・山本寛斎さんの弟です。

自身のインスタグラムで、「兄、山本寛斎が永眠しました」と、追悼メッセージをアップしました。

33歳の年が離れた兄弟ですが、伊勢谷友介さんが山本寛斎さんを尊敬している様子が伝わってきて、やりきれない思いになります。

伊勢谷友介さんと山本寛斎さんは異母兄弟なのですが、伊勢谷友介さんの生い立ちはどんなものだったのでしょうか。

家族構成とともに調査していきます。

伊勢谷友介の生い立ちと父親

伊勢谷友介さんは、1976年5月29日生まれなので、2020年7月28日現在では44歳ですね。

出身は、東京都世田谷区です。

父親の山本一男さんが53歳、母親の伊勢谷尤子(ともこ)さんが40歳の時の子供になります。

山本一男さんが50代だったということにビックリですが、それは母親・尤子さんとの結婚がなんと6回目だからです。

父親は洋服を仕立てるテーラーで、当時の花形職業であり、コンテストに入賞するほどの腕前を持っていました。

ところが、伊勢谷友介さんが3歳の時に両親は離婚してしまうのです。

そして、母親の実家がある北海道函館市五稜郭町に移り、祖父母と一緒に幼少期を過ごします。

つまり伊勢谷友介さんは、母子家庭で育ったということになりますね。

母親は学校教員として働きながら、伊勢谷友介さんに「あなたには学歴しか残すことができない」と語り、懸命に守り、育てていきます。

伊勢谷友介さんは、3歳で両親が離婚したこともあり、父親とはほとんど面識がなく、また記憶もないんだとか。

そんな父親の山本一男さんですが、山本寛斎さんをもうけた初婚の時に、かなり乱暴なことをしています。

  • 一方的に愛人を作り、一方的に妻(山本寛斎さんの母)に離婚届を突き付ける
  • 子供を連れて実家に戻った妻の元へ「子供を返せ」と怒鳴りこむ
  • 子供たちを引き取るも、結局育児放棄
  • 結果、子供たちは養護施設へ

前述しましたが、伊勢谷友介さんは、父親が6回目の結婚の時に授かった子供です。

伊勢谷尤子さんと離婚した後、父親である山本一男さんは7回目の結婚をしますが、それ以前からDV疑惑もあったと言われています。

今ではその疑惑を証明することはできませんから、こんなことを言ってはいけないかもしれませんが、父親がこのような状態を続けていたとすると、親子の情は芽生えないかもしれませんね。

でも、伊勢谷友介さんは父親と似ていると思いませんか?

そして父親は、1994年に71歳で逝去してしまうのですが、当時18歳だった伊勢谷友介さんは、葬儀に参列することはありませんでした。

その後、母親から「(父親は)人から望まれることをあまりしてこなかった」と聞いた伊勢谷友介さん。

30歳を迎えたころ、ようやく父親の墓参りに行くのですが、伊勢谷友介さんは父親に対して、誰にも分らない心の葛藤があったのだろうと推察します。

伊勢谷友介の家族構成は

伊勢谷友介さんは、母親・妹の3人家族です。

妹は、伊勢谷友介さんと1~2歳の年齢差があるそうです。

教育熱心だった母親のおかげで、伊勢谷友介さんは、12歳から英会話を習い、東京藝術大学美術学部在学中には、4年生の時にニューヨーク大学に短期留学をしました。

そのため妹も、同じくオーストラリアでの留学経験があります。

ただ一般人のため、名前や画像はありません

その後妹は国際家結婚をし、オーストラリア在住で、息子を授かっています。

伊勢谷友介さんはその甥っ子をとても可愛がっていて、以前ツーショット写真をテレビで公開したこともあります。

伊勢谷家の家系図はこんな感じです。

ただ前述したように、父親は破天荒なタイプだったため、異母兄弟はもっといるかもしれませんね。

補足
俳優の椎名桔平さんと女優の山本未來さんは、数年間も話し合いを続けた結果、2019年10月26日に離婚しています

伊勢谷友介が異母兄弟・山本寛斎にインスタで追悼

伊勢谷友介さんが、兄・山本寛斎さんを綴ったインスタグラムの写真と文章はこちらです。

 

兄、山本寛斎が永眠しました。

写真は僕が大好きな寛斎さんの写真。
寛斎さんも僕も、共に27歳の頃の写真をコラージュしました。

1971年、独立して株式会社「やまもと寛斎」を設立した頃。
僕は2003年、初監督作品「カクト」の公開を終えた頃。

寛斎さんが病床で、最後に僕に聞いた事。「俺の生き方、どうだ?」僕は慌てて「凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも。」と
寛斎さんは満足気に小さく頷いた。。。

僕が物心ついた頃には、寛斎さんはファッションの分野で世界を相手に正に『歌舞いて』いた。そんな兄の存在は高校生の僕にとってメンターに変わった。NHK「わたしはあきらめない」で山本寛斎は新たな挑戦であったアートイベントの演出家として、諦めない挑戦の姿勢を、僕に強烈に印象づけた。VHSのテープを何度も観た。

『世界基準でやりたい様にやる』

寛斎さんのその姿勢は、当時「二足の草鞋」と揶揄されながらもREBIRTH PROJECTと、俳優業を兼業する当時の僕のメンタリティを支えてくれた。

大学生の頃、僕は『兄になりたかったんだ』と思う。

勿論寛斎さんは知らないし、そんな事を言う気もない。
寛斎さん自身だって、僕と同じ様に、自分に流れる山本家の激しい血筋を社会で沸騰させる事で精一杯だっただろうから。だから、背中を見てた。父と過ごした記憶のない僕には、それが社会を生きる大人の姿だった。
その激しさの反面、寛斎さんは若い頃から家族を持ち、あまりにも優しく、おおらかに家族を支えてくれたと、娘の未来ちゃんが話してくれた。寛斎さんの弟によると、私達の父は「とんでもない人」だったらしい。その反面教師だったと言っていた。

生前寛斎さんは「葬式は明るく」「墓はいらない」と言っていたらしい。兄弟なんだな、そんなところも僕と同じ考えだ。

やりきる人生、命を使い切る人生。
最後までカッコ良かったです。

寛斎さんの死は、これからの自分に新たに喝を入れられました。

あなたの血は、僕の中に生きてます。『世界基準でやりたい様にやる』あなたに負けず、僕は『すべての人が容易く生きれる社会』を現実にしたいです。

まだまだ僕のインスピレーションの源でいてください。

ありがとうございました。

伊㔟谷友介(引用:伊勢谷友介インスタグラム)

伊勢谷友介さんが綴った一文字一文字を見ていると、悲しみで胸が詰まります。

それでも、弟である伊勢谷友介さんの想いは、山本寛斎さんに届いているに違いないと思うのですが、いかがでしょうか。

山本寛斎さんのご冥福をお祈りするとともに、偉大な兄を失った伊勢谷友介さんの心痛が、一日も早く癒されることを願ってやみません。

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